意識されない UI

UI を大きく削って、ようやく認めた。作る側として好きな操作盤は、使う側として心地よい体験と一致しないことが多い。

Design

正直に言うと、初期ベータの UI は DJ コンソールみたいでした。ノブだらけ。route ごと、モデル差分ごと、debug パラメータごとにトグルがある。あの段階では合理的でした。何百通りも試して、動く組み合わせを見つける必要があったからです。

でも毎日自分で使い始めると、作った本人の私ですら操作に割り込まれる感覚がありました。

本当のゴール

私がやっていたこと全部、つまり model route、遅延調整、仕上げオプションは、目的が一つでした。使い手にとって一番しっくりくる版を届けること。使い手に調整を強いるべきではないし、その組み合わせの存在すら意識させない方がいい。

出力を見て「そう、それが言いたかった」と思える。それだけがゴールです。

そこに気づいてから設計原則はシンプルになりました。隠せるなら隠す。包めるなら包む。使い手を煩わせない。

作り手と使い手のギャップ

何度もぶつかったのは、作り手モードと使い手モードの認知ギャップでした。

作り手の本能: すべての設定を渡す。完全なリモコンを渡す。柔軟性を最大化する。

使い手の現実: 気持ちいい体験は、必要なものが feed に自然に現れること。入口を何段も辿って探す体験ではない。

この差に気づいて、たくさん削りました。今の版は、本当に多くを捨てています。かつて誇っていた機能も消えました。

効くテスト

自分に2つの問いを投げるようにしました。ただし直後ではなく、数日置いて熱が冷めてからです。

  1. 筋が通っているか?
  2. 実際に使うか?

答えが変わったら、迷わず削る。

作っている最中は何でも正しく見えます。でも「作る視点」と「使う視点」はまったく別物で、同時に両立するのは難しい。さっきまで debug していた人間が、次の瞬間に実装を気にしない素の使い手になるのは無理があります。

だから意図的にバッファ時間を取りました。開発サイクルが想定より長くなった理由の一つです。プロトタイプ自体は早くできていたし、友人テストも進んでいた。でも磨き続けて、問い続けた。本当に役立つか? 自分で使い続けたいか?

自分で食べる

開発中、Reso は自分の仕事の足場として使っていました。作者の自分ですら使いにくいと感じる箇所は、全部赤信号でした。

自分が使いたくないものを、なぜ他人に渡すのか。信じていない助言をするのと同じです。「本当に信じてる?」に「いいえ」と答えるなら、その先はノイズになります。

何かを作り終えたとき、最後に聞くべきはこれです。自分はそれを信じているか?

信じていれば言葉に熱が宿る。違和感があれば、必ず分かる。

UI は表現でもある

技術的に可能なことと、人間にとって自然なことの間のせめぎ合いは、Skills や Tones の機能開発でも常に出てきました。これは自己満足か、それとも本当に必要か。

でも美しい点もあります。UI は表現の一形態です。世界の優れたアートに学びつつ、UI は開発者が「自分にとっての美」を表明できる窓だと思っています。

「正しい UI」はありません。あるのは、合っているか、しっくりくるか、安心できるか。

その基準はこれからも変わり続ける。だからこそ、もっとインスピレーションとフィードバックと反復が楽しみです。あなたが意識しない UI ほど、実は最も考え抜かれているのです。

これは宣伝ではなく、作りながら実際にはまった落とし穴の記録です。

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